心理社会的ストレスを考える場合に、何が人間にとってストレスになるかをマスローの欲求階層説に基づいて考えてみたい。マスローによれば、図2に示すように、人間の欲求は次の五段階の階層に分けることができる。第1段階は、食欲、性欲などの「生理的欲求」である。この「生理的欲求」が充足されると、人は次の第2段階の欲求を求めるようになる。それは、生命の安全を求める「安全の欲求」である。この安全の欲求が充足されると、次に第3段階の欲求を求めるようになる。それは人に愛され、家族や社会などに所属することを求める「愛と所属の欲求」である。この「愛と所属の欲求」が充足されると、次に第4段階の欲求を求めるようになる。それは、自分の能力や地位が認められることを求める「承認の欲求」である。この「承認の欲求」が充足されると、人はさらに次の欲求を求めるようになる。それは、自分の能力や生き方の可能性を高めようとする「自己実現の欲求」である。これらの欲求が充足されなければストレスとなる。
次に、このマスローの欲求階層説を人間の歴史からみるとどのようになるかを考えてみたい。
狩猟・採集時代には、人々は日々の糧を得ることができるかどうかに大いに悩んだに違いない。あるいは、他の動物や他の部族から襲われることを恐れながら暮らしていたに違いない。つまり、この時代の人々は、生理的欲求や安全の欲求が脅かされるようなストレスに怯えていたのではないだろうか。原始社会ではタブーを犯す者には死がもたらされることもあった。
農耕時代には、人々は作物ができるかどうか雨模様を心配したり、農地への水の取り入れをめぐる水争いになったりすることもあったに違いない。また人々は、その共同生活をしている村から村八分として疎外されないか怯えることもあったに違いない。つまり、この時代の人々は愛と所属の欲求を脅かされるようなストレスを感じることがあったに違いないと考えられる。
封建時代には、封建領主のもとでの絶対支配によって、その家臣のみならず一般領民は堪え難い忍従を強いられたこともあったに違いない。それは各地で起った百姓一揆に見られるとおりである。また、「泣く子と地頭に勝てぬ」という言葉が残っているのは、その事を伝えているものと思われる。あるいは封建領主の間での争いによって、その住む所を追われたりすることもあったに違いない。あるいはまた、人々はそのような階層化した社会の中で差別を受けたり、排除されることに怯えることもあったにであろう。紀元前5世紀は、インドでは現世は苦の世界であり来世への往生を説く仏教が生まれ、中国では春秋戦国の乱世に秩序をもたらそうとした儒教が生まれた時代であった。 つまりこの時代の人々は、愛と所属の欲求や承認の欲求が脅かされるストレスを感じていたのではなかろうか。鴨長明の方丈記は、そのような封建時代の桎梏からの離脱を願ったものと見ることもできるであろう。また近松門左衛門の世話物も、個人の欲望と封建時代の義理や人情との確執を描いたものと言っても良いであろう。
現代社会では、人々は自らの力の承認を求めて、あるいは自己実現を求めて、地理的にも移動し、またその所属する所もしばしば変わる。つまり現代社会の人々は、承認の欲求や自己実現の欲求が脅かされることが多いであろう。
このようにいつの時代にも、それぞれの社会と時代精神の中で、それに脅かされた個人の欲求に関連したストレスがあり、それが適合障害の発生をもたらしている可能性を否定できないであろう。 |